真の志
Release: 2023/01/20 Update: 2023/01/20
真の志
真の志とは、自分の心の奥底に潜在しつつ、常にその念頭に現れて、自己を導き、自己を激励するものでなければならぬのです。書物を読んで感心したり、また人から聞いて、その時だけ感激しても、しばらくたつとケロリと忘れるようでは未だもって真の志というわけにはいかないのです。
いやしくも、ひとたび真の志が立つならば、それは事あるごとに、常にわが念頭に現れて、直接間接に、自分の一挙一投足に至るまで、支配するところまでいかねばならぬと思うのです。
修身教授録
#森信三 #森信三運命をひらく365の金言 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新 #朝活 #読書 #感謝 #言葉
何かに向っていかなければならないものです。
夢でも志でもなんでもね。
死に方も人それぞれの考え方があるとは思いますが、私は苦しんで考えて心残りでという死に方をしてもいいのかと思います。
そうやすやすと達成するようなものを設定しても楽しくない。
年とっても燃えるような熱い気持ちを持ち続けたものです。
関連コンテンツ
一家の経済というものは、いい加減なその日暮らしでやっていますと、その内にどうにもならぬ時がやって来ます。元来お金というものは、一銭一厘もごまかしの利かないものであって、たとえば百円の汽車の切符は、九…
ペスタロッチーの言葉 「苦しみに遭って自暴自棄に陥るとき、人間は必ず内面的に堕落する。・・・同時に、その苦しみに堪えて、これを打ち越えたとき、その苦しみは必ずその人を大成せしめる」【231】 #修身教…
実践して分かること 廊下の紙屑というものは、それを見つけた人が拾ってやるまで、いつまでそこに待っているものです。もっともこれは、紙屑を拾うように努めている人だけが知っていることなんですが。このように世…
自分の位置を知る われわれ人間は、一足飛びに二階へは上がれないように、結局は一つ一つ階段を登っていく外ないでしょう。そして最も大事な点は、現在自分の立っている段階は、全体の上から見て、おおよそ何段目く…
生死一如 われわれは、自己の生に徹することによって生を超えると共に、そこにおのずから死をも超える道が開かれてくるのであります。かくして人生を真に徹して生きる人には、生死はついに一貫となり、さらに一如と…