決死の覚悟|4月14日のことです。
Release: 2018/04/14 Update: 2018/04/14
決死の覚悟
鉢巻は、いざという時、「我が身は神の占めるところとなれ。神様に差し上げるから、神よ、我が身を拠りどころ(依代)として乗り移れ」というような心持ちでしめたのである。決死の覚悟を決めたというしるしである。
そもそもスポーツにおいて、まわしをしめ、鉢巻を結ぶのは、「この技を祖神の照覧に供す。我をして生命を顧みず、全力をつくさしめ給え」という式である。
相撲など、この上、水を呑み塩をふって決死の式をとる。壮快といわねばならぬ。
丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、4月14日のことです。
鉢巻とはそういう意味合いのものだとはまったく知りませんでした。
なんとも思いのつまったものなのですね。
考えてみると運動会を思い出したり、特攻隊などを思い出します。
それこそ決死の覚悟ですね。
決死の覚悟で仕事も励まねばなりませんね。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
まず己が動く 人が二人以上寄ったとき、勝手にやっていては合わぬ。 「綱引き」など、団体競技は、皆が心がそろい、力が合うことが勝つ要件である。メンバーの中に強い者があっても、そろわぬと負ける。 一つにな…
火のごとき実践 人が個性をのばし、知能を発達させ、十分に働けるようになるには、何よりもさきに「知即行」(知ると同時に行なう)ということが、必要になってくる。 これは朝起きから始まる。目がさめる。それと…
おおらかに育てる 女の子には美しい着物を着せたり、男の子は頭をいろいろにつんだりする。大人のできそこないのようにして玩具にしている。これは愛情と間違えているのであります。 子供は、できるだけ簡素に大ら…
悪法も守るべし つつみかくし無く堂々とあけっ放している人には、相手は必ず公平無私に堂々と取り組む。すべて我が心の反映であることは、我らの常に実見するところである。 いわゆる悪法でも、ある限りは守らなけ…
2月24日の丸山敏雄一日一話(幸せになるための366話) 歌に生きる心を分解してみると、まず見ることから始まる(聞くことも同様)。 対象をじっと見るのである。そのままに、感情をまじえず、あるがままに、…