親は比較の対象ではない 修身教授録抄 姿勢を正して声を出して読んでみた

そもそも物事というものは、すべて比較を止めたとき、絶対無上となるものであります。総じて善悪とか優劣などということは、みな比較から起こることでありまして、もし全然比較をしなかったとしたら、すべてがそのまま絶対無上となるわけであります。そこでいま子としては、わが親は他人の親と比べられませんから、そこで親は子どもにとって絶対となるのであります。それゆえ外から見れば、色々と欠点のある親であっても、少なくとも子どもの立場からは、わが親に優る親はいないわけであります。それ故、もし自分の親を他人の親、とくに友だちの母親などと較べて、そこに不足がましい心が起こったとしたら、それこそ親に対して赤の他人になったものといわねばなりますまい。否、わが親を比較の対象にのぼすということは、厳密に申したら、その瞬間すでに子でありながら、子の方から親子の縁を断つものといってもよいほどでしょう。
この文章は、親と子の関係における「比較」という行為の危険性を鋭く指摘しています。
まず、「比較を止めたとき、絶対無上となる」という冒頭の言葉は、物事の本質を見抜く力強いメッセージです。私たちは常に何かと比較し、優劣をつけたがりますが、それは主観的な価値観に過ぎません。比較から解放されたとき、すべてのものが唯一無二の存在として輝きを放つ、という考え方は、固定観念にとらわれがちな私たちに新たな視点を与えてくれます。
親と子の関係に置き換えたとき、この考え方はより深く響きます。親は子にとって絶対的な存在であり、比較の対象となりえません。親の欠点に目を向け、他人と比較することは、親子の絆を断ち切る行為に等しいと筆者は述べています。これは、親への感謝や尊敬の念を忘れ、他者との比較によって親の価値を測ろうとする現代人に警鐘を鳴らす言葉と言えるでしょう。
しかし、親も人間であり、完璧ではありません。親の言動に傷つき、葛藤を抱える子どももいるでしょう。そのような子どもにとって、この文章は時に残酷に響くかもしれません。親への感謝を説く一方で、子どもの苦悩に寄り添う視点が欠けているようにも感じます。
それでも、この文章が私たちに問いかけるメッセージは重要です。親子の関係に限らず、他者との比較に囚われ、目の前の大切なものを見失っていないか。比較することでしか自分の価値を測れない現代社会において、この文章は「比較」という行為の功罪を改めて考えさせてくれるのではないでしょうか。
甘い飲み物が肝臓を殺す
ますますジュースが悪だということを感じますね。
他の人に話すと以外とジュースとかとってないないんですね。
体重が減っているわけではありませんが甘いのみものをしばらくとってないですから肝臓も多少どうにかなってほしいです。
今日もはここまでです。
ありがとうございます。
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