第三夜 天道と人道 一、天道と人道(天の巻 大自然に学ぶ)

この世のことはぐるぐる回って止むことはない。寒さが去れば暑くなる。暑さが往けば寒さがやってくる。夜が明ければ昼となり、昼が過ぎれば夜となる。
万物は生じれば滅び、滅びればまた生じる。銭をやれば品物が来、品物をやれば銭が来るのと同じだ。田畑でも海山でも皆そのとおりなんだ。山に住んでいる人々が薪をたいて減るぐらいは山林で育っていく。ここで食い減らすぐらいの穀物は田畑で生育し、生まれた子は次第に年をとり、築いた堤は時々刻々に崩れ、堀った堀は日々に埋まり、葺いた屋根は刻々と腐っていく。これは大自然そのものの法則であって、つまり「天道」というものなんだよ。
ところが、「人道」というのはこれと違っているだ。なぜなら風雨はきまりなくおとずれ、寒暑が去来するこの世界の中で、羽根もなく鱗や殻もなく、裸のままで生まれてきた人間は、家なくなれば雨のとき困り、衣服がなければ寒さや暑さを凌げない。そこで「人道」というものをつくって、米を善とし、雑草を悪とし、家をつくるのを善とし、こわすのを悪とした。これはすべて、人が生きていくためにつくった道なんだ。だから人道というんだよ。
天理からみるなら、すべて善も悪もない。その証拠には、天理のままにしておけばみんな荒れ地となって原始の昔にかえってしまう。なぜなら、それが天理自然の道だからだ。
このように、天には善悪がないから、稲と雑草を区別しあい。種のあるものはみな生育させ、生気あるものはみな発生させる。人道というのは天道にしたがうけれど、その中で善と悪を分け、稗やはぐさを悪とし、人の食べる米や麦は善とする。つまり、人々にとって役立つものを善とし、役立たぬものを悪とする。そこには人道と天道の違いが出て来るんだ。なぜなら人道は人がつくったものだからさ。
たとえてみれば、人道というのは料理物のようで、長い人間の歴史の中で、歴代のすぐれた君主や賢い家来たちが、料理し、味付けして、自然のままでなく、人生に役立つように工夫してつくったものなんだ。だから人道というのは、ほおっておくと自然状態に戻っていってしまう。そこで政治を行い、教えを立て、刑法を定め、礼法をつくり、やかましく、うるさく世話をして、ようやく人道を成り立たせているんだよ。
だから人道を天然自然の道のように思うのは大きな誤りだ。そこんとこよく考えてみることだな(二)
この文章を読んで、自然の摂理である「天道」と、人間が生きていくために作り上げた「人道」という二つの道の違いについて、改めて考えさせられました。
自然の流れは止まることがなく、寒さと暑さ、昼と夜、生と死がぐるぐると巡っていく。そこには善悪もなく、ただあるがままの姿があるだけです。
しかし人間は、そんな無常で過酷な自然の中に生まれ、どうにか生き延びていくために「善」と「悪」を定め、家を建て、衣服を作り、秩序ある社会を築いてきた。それが「人道」であり、言わば人間が工夫と努力でつくり出した「生きるための道」なのだと理解しました。
このように考えると、私たちが「当たり前」と思っている社会のルールや価値観も、実は長い歴史の中で少しずつ築かれ、守られてきたものであり、決して自然に存在していたものではないのだと気づかされます。そしてその道を外れれば、たちまち不安や混乱が生まれ、人間社会は自然の荒々しさに飲み込まれてしまうかもしれない。だからこそ、私たちは「人道」という道を尊び、大切にしていかなければならないのでしょう。
同時に、この文章は「自然なままがよい」という考え方への一つの警鐘にも思えます。
人間は自然から離れられない存在ではあるけれど、自然のままでは生きていけない存在でもある。
だからこそ、「人道」を意識し、自分がその道のどこに立っているのかを省みることが、人生をよりよく生きるための鍵になるのではないかと感じました。
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今日もまたちょっとしか読めませんでしたが、内容は今まさに私求めいるないようです。
もう少し早く起きて読む時間を増やします。
今日もはここまでです。
ありがとうございます。
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