第三十七夜 人の感覚は及ぶことしかわからない
儒教では、「太極」「無極」という言葉があるが、人間の考えの及ぶにを太極といい、及ばないのを無極といっただけなんだ。 考えが及ばないからといって、ないわけではない。 海の遠いところには波がないよう ・・・
儒教では、「太極」「無極」という言葉があるが、人間の考えの及ぶにを太極といい、及ばないのを無極といっただけなんだ。 考えが及ばないからといって、ないわけではない。 海の遠いところには波がないよう ・・・
学者はみな『大学』は三網領というけれど、前にも話したように、(第三十五夜)、至善に止まるの「至善」というものがどんなものか明らかでないのだから、実は二網領とすべきではないか、と考えたんだ。 なぜな ・・・
儒教では「至善に止まる」(善の極致に達し、そこを離れない)といい、仏教では「衆善奉行」(いろいろな善を行う)という。 しかしその善というものが、いったいどうゆうものか確かでないから、人々は善を行おう ・・・
善悪の理屈ははなはだむずかしいもんだ。がんらいは、善と悪というのはないんだよ。 善をいうから他方に悪というのができてくるんだ。善悪は人間の考えからできたもんで、人道上のもんなんだ。だから人間がいなけ ・・・
九の字に点を一つ加えて丸の字をつくったのは面白いな。〇というのは、つまり十なんだ。十はとりもなおさず一ということになる。 元旦やうしろに近き大晦日 というワシのつくった俳句があるが、これも十はつまり ・・・
この世にある万物は、陰と陽の片方だけでは、あと継ぎをつくっていくことはできない。 父母がなくとも子どもができるのは草木だけなんだよ。草木というのは、空中に半分幹や枝を出し、地中に半分根をはって育って ・・・
火を制するのは水。陽を保つものは影。世に富者があるのは他方に貧者がいるからだ。 この貧富の道理は、ようするに寒暑、昼夜、水火、男女などみな相手方とお互いに力を合わせ、もち合って受け継いでいくのと同じ ・・・
儒教では循環といい、仏教では輪廻転生といっているのは、つまり天理天道なんだな。 循環とは春は秋になり、暑は寒となり、盛は衰に移り、富は貧に移るという、輪、転というのもまた同じことだ。 仏教では、輪廻転 ・・・
彼岸という文字は「梧窓漫筆」(太田元貞著、学芸道徳に関する随筆集)という本によれば、もとは儒書から出たもんだと書いてある、という学者がいたのでワシはこう言ってやったんだよ。 「文字の出所はよく知ら ・・・
この世のすべてのことは、みんな一つの道理によって貫かれてるんだ。一つに草を例にひいてこの道理を説明してみよう。 儒教の書物(中庸)に「この本は、はじめは一つの道理について説明し、中ごろでは広く各方 ・・・