「大我」と「小我」|4月19日のことです。
Release: 2018/04/19 Update: 2018/04/19
「大我」と「小我」
人には互いに助け互いに思う、二つの我がある。
「大なる我」は常に、国家にあり、民族にあり、世界にあり、文化にある。
「小なる我」は、おのおのその職場にあり、その仕事をはたらき、日々喜びに満ちて、これが唯一の我が職場と守りぬく。
「大我」は、遠く何千年の過去を窮めて、未来五十年百年の前途を思う。
「小我」は明朗愛和の家庭の中心として、ここに据えられて野心がない。
丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、4月19日の言葉です。
国家のことを思うということは誰しも心の奥底には日本人ですから強くある。強くあってほしいと思います。
平和というものは大我が失われていくようにも感じます。
普段から国民にそのことを気づかせるのが学校や国の仕事のようにも思います。
小我は日々のことですからしっかりと行い努力が必要です。
しかし家庭でも先人達の苦労で今がありこの生活があると言い聞かせる必要はありそうです。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
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