未だ嘗て才あらずと為すもの|8月12日のことです。
Release: 2018/08/12 Update: 2018/08/12
未だ嘗て才あらずと為すもの
以て未だ嘗て才あらずと為すもの。(告子上八章)
もっていまだかつてさいあらずとなすもの。(こくしかみはっしょう)
【訳】
(ある人が鳥や獣に近い生き方をしているのをみて)あの人はもともと善を行う本性はないと決めつけてしまうこと。
〇松陰は、「この才は才能という意味ではない。才は本性のことで、本性が行為として現れたところを才といっている。草木が枝葉を出そうとする姿に似ており、本性が現れて情となろうとするところを才といったのである」とい記している。
8月12、孟子一日一言です。
自分の感情のままに生きているような人が善ではないと決めつけるのはよくないということでしょうか。
本性が行為として現れる。
それは自然と人を思いやるようなことでしょうか。
人の本質が善であればきっと何も考えずにそういうことができるのでしょうね。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
天下の為めに人を得る 人に分つに財を以てする、之れを恵と謂ふ。(中略)天下の為に人を得る者は、之れを仁と謂ふ。是の故に天下を以て人を与ふるは易く、天下の為めに人を得るは難し。(滕文公上第四章) ひとに…
我に従へ② 国家を治むるに至りては則ち姑く女が学ぶ所を舎きて我れに従へと曰はば、則ち何を以て玉人に玉を彫琢するを教ふるに異ならんやと。(梁恵王下九章) こっかをおさむるにいたりてはすなわちしばらくなん…
朋友の道 善を責むるは朋友の道なり。父子善を責むるは恩を賊ふの大なるものなり。(離婁下三十章) 【訳】 善を責め合うのは、朋友の間の道である。親子で善を責めるのは、もっとも親子恩愛の情をそこなうもので…
自得せんことを欲す 君子は其の之れを自得せんことを欲するなり。(離婁下十四章) くんしはそのこれをじとくせんことをほっするなり。(りろうしもじゅうよんしょう) 【訳】 心ある立派な人は、道なるものを自…
善戦者は上刑に 善戦者は上刑に服し、諸侯を連ぬる者は之に次ぎ、草莱を辟き土地に任ずる者は之に次ぐ。(離婁上十四章) ぜんせんしゃはじょうけいにふくし、しょこうをつらぬるものはこれにつぎ、そうらいをひら…