自由な心|2月4日のことです。

人間は、自分で自分の捕虜になっている。狭い柵の中にもぐりこんで自分勝手に苦しんでいる。おりというのは諸君の肉体である、さくというのは諸君の住宅である。肉体は心のいれもの(容器)ではないか。古人は言った、「霊の社」と。五尺の短身といって悲観する必要がどこにあるか。体に傷があろうが、何をくよくよする。容物は、もって形があれば足りる。
人の心は、出入自由。ガイレオも文天祥も、身は牢獄につながれたが、心は天地に遊泳した。何を遠慮するのだ、悠々とその広い天地に散歩したまえ。
※文天祥 南宋末の政治家。元朝への仕官を勧められたが節を曲げず死刑となった。
丸山敏雄一日一話(幸せになるための366話)2月4日の言葉です。
たしかにそうです。
吉田松陰もしかりですね。心を牢獄につなぐことはできません。
人に何を言われようと自分は自分ですし、心を縛りつけることはできませんね。
しっかりと自分の信念で生くことが大切ですね。
やるのも自分、やらぬのも自分。
決めるのも自分。
人のことより自分がいかにあるべきか自分で判断するしかありません。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。