陰のかまえ|4月27日のことです。
Release: 2018/04/27 Update: 2018/04/27
陰のかまえ
陰のかまえというのは、一切を受け容れて、対立しない。すべての我を与えて、我なき心境、これは存在の窮極である。
対者がなくなるので、全一におり、統体の真に還る。すべてが我となって、すべてが身ずからにしてわかり、心の欲するところに従ってのりをこえない。これは、至人であり、至境である。これが、存在の陰である。
倫理のさかいでは、「ハイ」の一語につきる。すべてを受け容れる。この「ハイ」はすべてを受け容れる絶対境の表現である。
丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、4月26日の言葉です。
このような境地に行くためには修行が必要ですね。
極力、「ハイ」で頑張っているつもりですがかき乱される感情というものもあります。
やるしかないのに心の中では調和をとるかのように言い訳が登場してきます。
陰のかまえを会得するにはまだまだかかりそうです。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
門を過ぐるも而も入らず 禹、外に八年、三たび其の門を過ぐるも而も入らず。(滕文公上第四章) う、そとにはちねん、みたびそのもんをすぐるもしかもはいらず。(とうぶんこうかみだいよんしょう) 【訳】 禹は…
耳は「聞く」もの 耳は「聞く」ものである。聞かねば耳ではない。まともに、ありのままに、淡々として私情私意、我情我欲を挿し挟まずに、たださながらに聞く、これがほんとの耳である。 聞えても、そのままの意味…
自然の均衡 紀州にある郡に、神社の合祀が流行しました。その時、小鳥学者の川口先生は、火のようになって反対しました。「宮の森は、小鳥のねぐらである。宮をこぼち木を切れば付近の村々は、害虫に困らされるぞ」…
心は常に自由 物の世界を超えた心の面は、常に自由である、どこも平等である。いくら大きい希望をいだいていても、大きすぎるとなじる者はいない。いくら遠大な理想をかかげても、税金はかからぬ。 ゲーテやミケラ…
陰のかまえ 陰のかまえというのは、一切を受け容れて、対立しない。すべての我を与えて、我なき心境、これは存在の窮極である。 対者がなくなるので、全一におり、統体の真に還る。すべてが我となって、すべてが身…