考えるとは何か
Release: 2022/10/03 Update: 2022/10/03
考えるとは何か
真に考えるということは、その問題が常にその人の心の底にあって、忘れる時がないということでなければならぬのです。【111】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
戦後の国民的な教育者と言われるとなかなか考えつかないわけですが、そういう志をもって教育を考えいるのは私の中ではすでに森信三となっているわけです。
死後これほどまでに読まれているのはその証拠だと感じますし、まだ続まで出るのですからすごいです。
さらに数年後には先生のいった通りになるような気もします。
立ち行かなくなってからでは遅いとは思いますが、そうならないと気づかないのが民族的なものなのでしょうか。
私の生産年齢も刻々と実はなくなっているわけです。
今から伸び切ったこの生活を変えるのは難しいですがその時その時でどうにかなるものだとも感じます。
気持ちをふるい立たせ、お役に立たなくなるまで働けなくなる時まで働く。
結局はこれしかないのでしょうね。
関連コンテンツ
学問の根本眼目 私は、人生の真の出発は、志を立てることによって始まると考えるものです。 古来、真の学問は、立志をもってその根本とすと言われるのも、まったくのこの故でしょう。 人間はいかに生きるべきであ…
わが轍を踏むなかれ たびたび申すことながら、諸君!!この人生は二度ないのです。諸君らにして志を立てなかったならば、おそらくまた私の轍を踏むことになりましょう。私は今自分の過去四十年の愚かなる足跡を省み…
人生の分水嶺 人間も、三十五歳から四十歳にかけては、人生を二等分する分水嶺ともいうべき年齢であって、人間も四十の声を聞けば、かの一葉落ちて天下の秋を知るというように、落莫たる人生の秋風を身に感じ始める…
真の読書というものは、いわばその人がこれまで経験してきた人生体験の内容と、その意味を照らし出し統一する「光」といってもようでしょう。だから、せっかく、深刻な人生経験をした人でも、もしその人が平生読書を…
この現実の大野に 教育とは、結局人間を植えることであり、この現実の大野に、一人びとりの人間を植え込んでいく大行なのです。それがいかに荘厳な事実であることか。それは達識明眼の人でなければ、真の洞察はでき…