佚道・生道―怨みず|10月16日のことです。
Release: 2018/10/16 Update: 2018/10/16
佚道・生道―怨みず
佚道を以て民を使へば、労すと雖も怨みず。生道を以て民を殺せば、死すと雖も殺す者を怨みず。(尽心上十二章)
いつどうをもってたみをつかえば、ろうすといえどもうらみず。せいどうをもってたみをころせば、しすといえどもころすものをうらみず。(じんしんかみじゅうにしょう)
【訳】
人民を安んじ、ねぎらおうとして人民を使うのであれば、人民はいくら苦労しても決して怨みはしない。また、人民の生命を保護しようとしてかえって人民を殺すようなことがあった場合、死ぬようなことがあったとしても人民は君主を怨みはしない。
10月16日、孟子一日一言の言葉です。
この状態になっている国はあまりないと思いますが、日本はそうかもしれませんね。
天皇とはそういう存在に近いとも感じます。
これは環境がそうさせるのか教育がそうさせるのかわかりませんが。
日本という国の歴史にかかすことのできない存在だからでしょうか。
今日も一日がんばります。
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