命をかけて働く|10月27日
Release: 2019/10/27 Update: 2019/10/27
命をかけて働く
これまでは、つまらぬらく隅に頭を突っ込んで迷っていた、職場が小さい、俸給が少ないと。朝の出勤がいやであり、生活に気がぬけ、肉体に筋がなくなった。
気がついてみると、今、私の全生命は、この仕事にかけられている。
もしこの仕事が、人類の生活に寄与するところが無いと知ったら、直ちに止めよう。いくらかでも役に立つところがあれば、私の命をかけて働くだけの価値がある。例えば船の鋲は、そのどれほど小さい物も、一つとして船の生命を保っているものでないものは無いように。
10月27日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
世の中の役に立たないものは仕事として成り立たない。
たしかにそうです。
まったく必要のないものなど存在しない。
役に立たなくなっていくと自然と淘汰され違うものに変わる。
この変化をしっかりととらえながら企業は永続しなけれななりません。
きっと今は変化の時代なんでしょうね。
今日一日がんばります。
関連コンテンツ
天職に捧げる一生 職業を持ち、これにすべての力をかけることが、人間の生きがいである。 鉄道線路の一つの踏切番を、四十年間務めぬいた人がある。私の叔母は八十四歳で、田舎家の台所で働き、家を愛し、田を守っ…
人の自覚(己を知る)の第一歩は、ここが一ばんよい、天下一品のえらばれた土地である、と知ることである。 今がまた二度と無い時であることを、はらの底から自覚する。それが人間の一年生である。 だから、今直面…
書は心画 書は心画です。心の絵であり、心操の投影です。書道は、書を上手に書くようになろうというのでなくして、書という形象を一つの容器として、その書を紙の上に書いて、そこにあらわれている我が心を直してい…
あっても、なくても 金銭の豊かなときに安心して喜ぶ気持ち、いい気になる気持ち、実はこれが、貧乏人の根性です。 金銭が無くて困ることはいうまでもない。しかし、無ければ、有るように努力すればよい、努力して…
無一物になっても 仏教の修行に出家して行脚、托鉢するのは、すべての物質を捨て欲望をはなれたとき、人は自然に養われるもの、そこにかえって自由の天地がうち開けることを、悟るためであろう。 昔の修験の行者が…