地位をわきまえる
Release: 2022/10/14 Update: 2022/10/14
地位をわきまえる
そもそも人間の値打ちというものは、人物としてはその上位者よりも、その人の方が優れているとしても、自分の地位が低ければ、それ相当に相手を立てて尊敬するところに、初めて人の心を打つものがあるわけです。【214】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
こういう場合というのはあることですね。
そうなって来ますと自分の態度というものを深く考える必要もあるかもしれません。
選挙などはその典型とも言えるかもしれませんね。
昨日のまではなんとかお願いしますと言っていた人が当選したとたんに先生になるわけです。
こういう場合の自分の態度というものがどうなっているのかということですね。
同じ態度ではいけないわけです。
なるほど。
そうなってくるとよくわかることです。
社会的な秩序を守ることもまた修養ということなのですね。
関連コンテンツ
知りにくい自己を知る お互い人間というものは、自分の姿が一ばんに見えないものであります。したがって私達の学問修養の眼目も、畢竟するに、この知りにくい自己を知り、真の自己を実現することだと言ってもようで…
肉体が滅びても 一人の偉大な教師の存在によって、二十年、三十年、否、時には四、五十年の後に、その地方が根本から立ち直って、そこに新たなる民風が起こるというのでなければならぬでしょう。その時、その種子を…
優れた実践の背後には すべて優れた実践の背後には、必ずや常に一個の思想信念がある。【182】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新 実践することの大切さは、何度…
わたくしには、なんど聞いても飽きぬ話が三つある。一つは(地蜂の)蜂の子とりの話。次はやまめ釣りの話。そして最後は富山の薬屋の新規開拓の苦心談。 この話に一番の興味を示して下さったのが、京大教授の幇芳賀…
われわれは、一体何のために学問修養をすることが必要かというに、結局は「人となる道」、すなわち人間になる道を明らかにするためであり、さらに具体的に言えば、「日本国民としての道」を明らかに把握するためだと…