為すあらんとする者は|3月10日のことです。
Release: 2018/03/10 Update: 2018/03/10
顔淵曰く、「舜何人ぞや、予れ何人ぞや」と。為すあらんとする者は亦是くの若し。(滕文公上首章)
がんえんいわく、「しゅんなんびとぞや、われなんびとぞや」と。なすあらんとするものはまたかくのごとし。(とうぶんこうじょうしゅしょう)
【訳】
(孔子の弟子)顔淵は、「舜はいかなる人間であろうか。私はいかなる人間であろうか(同じ人間である。それならば、努力さえすれば舜のようになれない道理はない)」といったという。何事かを成し遂げようとする人物は、誰でもこうあるべきである。
孟子一日一語、3月10日の言葉です。
顔淵さんのように考えられる心が大切ですね。
だれどもどこからでも変わっていけると教わりました。
今の徳目も「できる」ということを徹底的にやっています。
いつでもできる思考でいればいつかできるかもしれません。
否定では何も解決しませんね。
できると考えたいものです。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
恒の産なくして恒の心ある者は 恒の産なくして恒の心ある者は、惟だ士のみ能くすと為す。(梁恵王上七章) つねのさんなくしてつねのこころあるものは、ただしのみよくすとなす。(りょうのけいおうかみななしょう…
子路曰わく、未だ同じからずして言ふ、其の色を観るに赧々然たり。由の知る所非ざるなりと。是れに由りて之れを観れば、則ち君子の養ふ所知るべきのみ。(滕文公下七章) しろいわく、いまだおなじからずしていう、…
天下を服す 善を以て人を服する者は、未だ能く人を服するものにあらざるなり。善を以て人を養ひて、然る後に能く天下を服す。天下心服せずして王たる者は未だ之れあらざるなり。(離婁下十六章) ぜんをもってひと…
為すあらんとする者は 顔淵曰く、「舜何人ぞや、予れ何人ぞや」と。為すあらんとする者は亦是くの若し。(滕文公上首章) がんえんいわく、「しゅんなんびとぞや、われなんびとぞや」と。なすあらんとするものはま…
未だ仁にして 未だ仁にして其の親を遺つる者はあらざるなり。未だ義にして其の君を後にする者はあらざるなり。(梁恵王上首章) いまだじんにしてそのおやをすつるものはあらざるなり。いまだぎにしてそのきみをあ…