真の読書
Release: 2022/10/22 Update: 2023/03/28
真の読書
真の読書というものは、自分の内心の已むにやまれぬよう要求から、ちょうど飢えたものが食を求め、渇した者が水を求めるようにであってこそ、初めてその書物の価値を十分に吸収することができる。【107】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
厳しいお言葉の章です。それは何故かというと読書の必要性がまざまざとわかりがっかり感があるからですね。
自分の担当のものがあるからあわてて本を読むという程度ではおめでたいというわけです。
外面的な義務や強制感に迫られて読んだ本は得るところが少ない。
それは先生のおっしゃる通りです。
学生時代をどう過ごしたか、その後もどう過ごしたかが悔やまれます。
本をのどが渇くがごとく欲して読むということの理解が難しいと感じていましたが、この修身教授録はそういうものに近いような気もしてきました。
もっと覚えておきたい限りなのです。
関連コンテンツ
知りにくい自己を知る お互い人間というものは、自分の姿が一ばんに見えないものであります。したがって私達の学問修養の眼目も、畢竟するに、この知りにくい自己を知り、真の自己を実現することだと言ってもようで…
たった一人の情熱 すべて世の中のことというものは、一人の人の熱心さのいかんによって、事が運ぶという場合が少なくないようであります。【412】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日…
生理と精神 生まれつきとしては、肉体的にいかに強壮な人でも、もしその人が性欲を守る点できびしくなかったら、将来必ずや衰える期がくるのであります。同時にまたこれに反して、その生まれつきとしては、さまで健…
時間はつくるもの 諸君らのうちには、「今は学生時代で、学科におわれて読書などできないが、しかしそのうち卒業でもしたら、読書もするつもりだ」などのんきなことを考える人もあるようですが、しかし現在学科にお…
普通に良寛というと、大抵の人がすぐに童心ということを考えて、子どもたちと一緒に、ひねもすスミレをつんで遊ぶ姿を思い出すようです。おそらく諸君らにしても同様だろうと思いますが、しかし良寛がそのような世…