真剣さの欠如
Release: 2022/05/21 Update: 2022/05/25
真剣さの欠如
自分がこの世の中へ人間として生まれて来たことに対して、何らの感謝の念がないということは、つまり自らの生活に対する真剣さが薄らいで来た何よりの証拠とも言えましょう。【21】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
自分がなぜ人間なのかと考える。
そんな機会はあまりないかもしれませんね。
なぜ人間なのでしょう。
それこそ天のみぞ知るということなのでしょうが、実際今から他の動物や草木に変われるといっても拒絶するところですね。
なのに感謝もしない。たしかにそうです。あたり前とも思っていない。
実に興味深いところですが、実際ありがたいことです。
なのになぜ家族で争ったりするのでしょうか。
せめて時折こういうことを考え軌道修正するしかないでしょうね。
関連コンテンツ
教師の資格 真に人を教えるというには、自ら自己の欠点を除き得た人、あるいはむしろ常にわが欠点を除去しようと努力しつつある人にして、初めてできることでしょう。【499】 #修身教授録一日一言 #森信三…
真の教育 真の教育は、 相手をして生々発展させるものでなければならぬ。 教育によって萎縮するようではいけない。 学校は色々の角度から ー諸教科目を通してー 根本を一事を学ぶ処である。 そしてそれは結局…
上位者に対する心得 上位者に対する心得の根本を一言で申しますと、「すべて上位者に対しては、その人物いかんにかかわらず、ただその位置が自分より上だという故で、相手の地位相応の敬意を払わなければんならぬ」…
「一日の一生の縮図なり」というのは私の信条だ。一生は過ぎ去ってみないことにはわかりっこない。だが、自分の一生がどうにかなりそうかということは、いまのうちに見当をつけなくてはいけない。そしてその見当を見…
人間的価値の根本 人間の人格的な価値というようなものも、その人が、かようかようのことをしたとか、言ったとかいうことよりも、そうした見えるものを越えて香る気品の床しさこそ、その根本はあるといえましょう。…