真剣さの欠如
Release: 2022/05/21 Update: 2022/05/25
真剣さの欠如
自分がこの世の中へ人間として生まれて来たことに対して、何らの感謝の念がないということは、つまり自らの生活に対する真剣さが薄らいで来た何よりの証拠とも言えましょう。【21】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
自分がなぜ人間なのかと考える。
そんな機会はあまりないかもしれませんね。
なぜ人間なのでしょう。
それこそ天のみぞ知るということなのでしょうが、実際今から他の動物や草木に変われるといっても拒絶するところですね。
なのに感謝もしない。たしかにそうです。あたり前とも思っていない。
実に興味深いところですが、実際ありがたいことです。
なのになぜ家族で争ったりするのでしょうか。
せめて時折こういうことを考え軌道修正するしかないでしょうね。
関連コンテンツ
たった一人の情熱 すべて世の中のことというものは、一人の人の熱心さのいかんによって、事が運ぶという場合が少なくないようであります。【412】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日…
人生の正味は三十年 実は人生というものは、まず三十年くらいのものです。実際人間も三十年という歳月を実に充実して生きたならば、それでまず一応満足して死ねるのではないかと思うのです。【342】 #修身教授…
老年になって読む伝記 伝記は何人にとっても必要であり、またいかなる年齢の人も読むべきであって、たとえばもはや老年になって、ほとんどなすべきことがないような人でも、偉人はその晩年をどのように過ごしたかと…
人間の幅は読書で決まる いやしくも自分の前途を展望して、将来ひとかどの自分になって活躍しようと思うなら、今日から遠大な志を立てて、大いに書物を読まねばならぬでしょう。それというのも、一人の人間の持つ世…
生への感謝 われわれ人間は自分がここに人間として生をうけたことに対して、多少なりとも感謝の念の起こらない間は、真に人生を生きるものとは言いがたいと思うのです。【19】 #修身教授録一日一言 #森信三…