聖人―形を踏む|11月12日のことです。
Release: 2018/11/12 Update: 2018/11/12
聖人―形を踏む
惟だ聖人にして然る後に以て形を踏むべし。(尽心上三十八章)
ただせいじんにしてしかるのちにもってかたちをふむべし。(じんしんかみさんじゅうはっしょう)
【訳】
ただ聖人だけが(体や顔などに)本来備わっている能力を十分に発揮させることができる。
〇松陰は、「『形を踏む』とは形が本来もっている能力をいすべて使うことであり、形とは耳・目・鼻・両手足を類を指す。耳が本来持っている能力は善悪を聞き分けること、目が本来もっている能力は善悪を見分けることである。その他、口、鼻、両手足の本来の能力もそれぞれにある。これを使い尽くさないのが凡人の常である。もしもこれらを最大限に使い尽くせば、それは聖人である」と記している。
11月12日、孟子一日一言の言葉です。
体の本来もっている能力を使いつくせていないのでしょうね。
どんなに自分が実行しようと思っても心と体は別に動くし、到底聖人になれそうもありません。
悪いとわかっていて見て見ぬふりをしたりもします。
使いつくすように努力するしかありません。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
聖人の心 聖人の心は(中略)遇ふに随ひて安く己れに預かることなし。(尽心下六章) せいじんのこころは(中略)あうにしたがいてやすくおのれにあずかることなし。(じんしんしもろくしょう) 聖人の心は(中略…
去・徙 罪なくして士を殺さば則ち大夫を以て去るべく、罪なくして民を戮せば則ち士以て徙るべし。(離婁下四章) つみなくしてしをころさばすなわちたいふもってさるべく、つみなくしてたみをりくせばすなわちしも…
為すあらんとする者は 顔淵曰く、「舜何人ぞや、予れ何人ぞや」と。為すあらんとする者は亦是くの若し。(滕文公上首章) がんえんいわく、「しゅんなんびとぞや、われなんびとぞや」と。なすあらんとするものはま…
古の君子は其の過や日月の食の如し。民皆之を見る。其の更むるに及びてや、民皆之れを仰ぐ。今の君子は豈に徒に之れに順ふのみならんや。又従つて之が辞を為る(公孫丑下九章) いにしえのくんしはそのあやまちやじ…
窮すれば則ち独り其の身を善くし、達すれば則ち兼て天下を善くす 徳を尊び義を楽しめば、則ち囂々たるべし。故に士は窮するも義を失はず、達するも道を離れず。(中略)故に士は己れを得。(中略)故に民望みを失は…