養ふ所以のものと知る|8月26日のことです。
Release: 2018/08/26 Update: 2018/08/26
養ふ所以のものと知る
拱把の桐梓は人苟も之れを生(長)ぜんと欲すれば、皆之れを養ふ所以のものと知る。(告子上十三章)
きょうはのどうしはひといやしくもこれをしょうぜんとほっすれば、みなこれをやしなうゆえんのものとしる。(こくしかみじゅうさんしょう)
【訳】
(人間は)ほんの一握りか二握りくらいの小さな桐や梓の木でさえ、これを育てようと思えば、それを育てる方法を知っている。
〇松陰は、「『雞犬』(告子第十章)『無名の指』(同十二章)、そしてこの『供把の桐梓』の比喩は、人の心の迷いを破る上で有効である。俗人は目に見える顔などは飾るが、見えない心は放置してしまう。しかし、心ほど他者に知られるものはない。だから、心こそ最もおそろしく、頼もしいものである」と記している。
8月26日、孟子一日一言です。
種をまき、水をやる。
だれもが知ってることです。
心も同じで育てるべきものだし、育てなければいけない。
松陰先生の言うように実際話をしているだけで人に心は知られてしまいます。
顔やかっこうを心配する前に心を磨きましょうということですね。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
その時、その職場は、天下唯一の聖なる働き場所ではないか。 そしてその一瞬間は、自分の一生の中たった一度しかない清き時間ではないか。どうして、うっかりできよう。 他にない時、またとない所、そしてそれだけ…
善・信・美・大・聖・神欲すべきを善と謂ひ、これを己れに有する之れを信と謂ひ、充実する之れを美と謂ひ、充実して光輝ある之れを大と謂ひ、大にして之れを化する之れを聖と謂ひ、聖にして知るべからざる之れを神と…
天賦の特質 全一学とは、各自がそれぞれ全一的生命から与えられた、二度繰り返し得ないこの地上の生において、自らに授かった天賦の特質を、いかに発揮し実現すべきかをまなぶ学といってよい。 全一学ノート #森…
昔は、ことをなさんとすれば、妻を捨て子を捨て、物質を捨て、地位名誉を捨てて、一身を挺しなければ、偉大な仕事は出来なかった。 しかしこれは、世界人類、万人が万人かくしたら、そこれそ村も町も都市も農村も、…
したがって先生の眼から見られると、自分の職務に対して不十分な大臣より、職務に忠実な小学校の用務員のほうが、人間のネウチは上位にあるというお考えなのであります。わたくしは、その明確さに対して、心から敬意…