見るは知るの端|3月14日のことです。
Release: 2018/03/14 Update: 2018/03/14
見るは、知るの端である。知ることによって、敬が高まり、和が強まり、愛が深まる。まさに歌境に入る出発点は、見ることである。じっと見ることである。そのまま見ることである。
見ることによって、形、色、香と性状がわかり、次第に本質にふれてくる。わかって来れば、長所美点はいよいよ良くなり、短所も欠点も、同情こそ湧け、悪むべく嫌うべきなにものも残らなくなる。
元来、物象事象の本質には美醜善悪はないのである。
3月14日、丸山敏雄一日一話(幸せになるための366話)の言葉です。
本質を知るためにはよく見ることがとても大切なことなんですね。
じっと観察するとよい部分が見えてくるというのはあるんでしょうね。
そうなると自分は本当に良く見ていないことに気づきます。
パッと見るだけで物事の本質がわかるわけはありませんね。
しっかりと見るということを意識しなければなりません。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
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