道義の枢軸は家庭|8月24日のことです
Release: 2019/08/24 Update: 2019/08/24
道義の枢軸は家庭
道義の出発は個に立つが、その「場」は家庭である。上に向かっての「敬」の徳は、子が親を敬するに始まり、下に向かっての「慈」は、親が子にそそぐ情から始まる。そして限りなく上に、または下に伸び、また斜めに広がる。
男女の性愛は、結婚によって純化され、ここに夫婦の愛和となって燃え、横に無限に広がる人類愛となって、八方及ぶ
8月24日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、言葉です。
すべては家庭から。
しかし、世のお父さんは家庭をないがしろしがちですね。
日々の仕事に追われて家族との時間がとれない。
それが少子化にもつながっていくんでしょうね。
だから、働き方を改革することになったんでしょうかね~。
早く家に帰らなければ。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
失敗は成功の資本 失敗は成功の資本である。苦難は幸福の門である。 反復また反復、連続また連続、終始一貫、努力不断、遂に到達せねば止まぬ。 成せば、成る。成らぬは自分がせぬのである。 時勢も、対者も、環…
涙のむこうに 涙、これは怒るために出すものではない。怒れば毒素と変じて、己の肉体をはばみ、他人を害する。 ただ己の罪悪を深く感じて、私情私恨のすべてを消しつくし、涙に明け暮れるわび、ざんげ・・・。 こ…
正しく着物を着る 女は、なるべく美しくなるように心がけなくてはならぬのです。なぜか。 正しく着物を着ると心が正しくなる、きれいな着物を着ると心も美しくなる。 これは、着物をもって心も美しくするというこ…
日々新たに 名誉や地位や才能や世間の評判や、そうした、はっきりせぬ影のようなものにつかまり、失うまいとあせる。それがかえって自分をそこにくぎづけにして、進歩も向上もさせないことになる。 一境に達すれば…
人間は、自分で自分の捕虜になっている。狭い柵の中にもぐりこんで自分勝手に苦しんでいる。おりというのは諸君の肉体である、さくというのは諸君の住宅である。肉体は心のいれもの(容器)ではないか。古人は言った…