一朝の患なきなり|6月12日のことです。
一朝の患なきなり
自ら反して忠なり、其の横逆由ほ是くのごとくなれば、君子は曰はん、(中略)此れ亦妄人なるのみ、此くの如くんば則ち禽獣と奚ぞ撰ばん、禽獣に於て又何ぞ難ぜんと。是の故に君子は終身の憂ありて一朝の患なきなり。(離婁下二十八章)
みずからはんしてちゅうなり、そのおうぎゃくなおかくのごとくなれば、くんしはいわん、(中略)これまたもうじんなるのみ、かくのごとくんばすなわちきんじゅうとなんぞえらばん、きんじゅうにおいてまたなんぞなんぜんと。このゆえにくんしはしゅうしんのうれいありていっちょうのうれいなきなり。(りろうしもにじゅうはっしょう)
【訳】
いくら反省し、誠意を尽くしても無理無道が続けば、心ある立派な人は初めて(
中略)「(この人)鳥や獣とどこが違うのか、鳥や獣と同じなら、非難しても仕方ない」と考える。こういう訳で、心ある立派な人には、生涯を通して大きな心配事はあるが、突然の心配事はない。
6月12日、今日の孟子一日一言です。
心ある立派な人になりたいものです。
無理無道の人間に対して自分の接し方が悪い。そして、鳥や獣と思って腹を立てない。
ここまでくるには鍛錬が必要です。
いつも人のせいにせず自分に置き換えて考える。
そうならなければいけないんでしょうが難しいものです。
今日も一日がんばります。