二度とない人生を④

「死」の徹見即「生」の充実。
「死」の絶望にボールを投げつけ、そのはねかえる力を根源的エネルギーとし、日々を真剣に生き抜くべし。
この言葉は、「人生二度なし」の内容をより具体的に象徴的に説かれたものです。「人生二度なし」とは、第一に(一)私共の人生は天からこの地上に派遣されたものであるということを意味すると共に(二)人生限り有りて、この肉体をお返しする日が必ずあるということ。この(一)(二)の絶対的真理をふまえて、(三)この与えられた人生をいかに生きるべきか―を自己に課せられた最大公案としてたえず自己に問いつつ、真剣に生き抜くこと。この第一・第二・第三の意味を含畜するのが、先生の「人生二度なし」の中心課題であります。
本項の言葉を、最も愛されたのが、洋画家中村一男先生(独立展・審査員)でまさに、死の直前まえ絵筆を離さず、日々精進された姿が思い出されます。
一日一日、お返しの日が近づいているということを、50年以上生きてきても真剣に考えていないと思います。 森信三先生の「死の徹見即生の充実」という言葉は、まさにその甘さを突きつけてくるようです。
人生が100年の時代になったと言われますが、長さの問題ではありません。 いつかこの肉体をお返しする時がくるということは、誰にも変えられない真理です。 それを本当に自覚している人は、どれほどいるでしょうか。
子どもを産み育てる期間を過ぎてからの人生も、思っていた以上に長いものです。 その時間をどう生きるのか。健康であることはもちろん、人に迷惑をかけず、なお他者のために生きられるような日々を送りたいと思います。 死を避けるのではなく、死を見つめる勇気こそ、生を充実させる第一歩なのでしょう。
#心魂にひびく言葉 #森信三 #寺田一清