二度とない人生を㉒

「随処作主」とは、人はどんな境遇の中にあっても、リンリンとして生きてゆける人間になることでしょう。
「随処ニ主ト作レバ、立処皆ナ真ナリ」とは、臨済録にある有名な言葉です。それぞれが、その場その場で主人公となれば、おのれの在り場所はみな真実の場となるというのが、大体の意味ですが、こういう表面上の解釈では、ちっとも真底からの了解には到り得ません。しかし、先生のように、解説していただくと直ちに肚の底に響く言葉になるから不思議です。
ここで私の好きな坂村真民先生の詩をご紹介いたしましょう。
「リンリン」
燐火のように
リンリンと
燃えていなければ
ならない
鈴虫のように
リンリンと
訴えていなkれば
ならない
禅僧のように
リンリンと
鍛えていなければ
ならない
梅花のように
リンリンと
冴えていなければ
ならない
人生において誰しもが主人公であるというのは、まちがいのないことです。 ただ、その主人公をどう演じるか――そこにこそ、生き方のすべてがかかっているのだと思います。
「随処作主」とは、どんな境遇にあっても、自らの立つ場を真実の場として生きること。 他人のせいにも、環境のせいにもせず、その瞬間その場所で自分の人生を引き受ける覚悟が問われています。
気づけば人生の半分を過ぎ、これまでの歩みを振り返ることも多くなりました。 けれども、どこからでもチャレンジはできる。 今がいちばん大切な時であり、いちばん燃えるべき時なのだと思います。
坂村真民先生の詩にあるように、 「燐火のように、鈴虫のように、禅僧のように、梅花のように」―― 静かに、しかし凛として輝く生き方を目指したい。 リンリンとして、心冴える日々を送りたいと思います。
#心魂にひびく言葉 #森信三 #寺田一清








