天職に捧げる一生|9月15日のことです
Release: 2019/09/15 Update: 2019/09/15
天職に捧げる一生
職業を持ち、これにすべての力をかけることが、人間の生きがいである。
鉄道線路の一つの踏切番を、四十年間務めぬいた人がある。私の叔母は八十四歳で、田舎家の台所で働き、家を愛し、田を守っての一日のようである。
わき目をふらず己が天職を楽しみぬいた人のみが、真の健康、まれな長寿をたもつ。それは、まことの働きに一生をかけたからである。
こうした国宝級の人たちが、帆柱のように、中心になり、支え棒となって、民族をささえ、文化を伝統して来た。
9月15日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
仕事がない人生というのはどんな人生なんでしょうか。
もし暮らすのに困らない状態でも仕事をしていない人が幸せにも思えませんね。
人間は結局は何かしら仕事を見つけて行なっているものですね。
人のお役に立つことが一番の健康法であり長生きの秘訣なのかもしれません。
今日も役に立てかな~と考える人生が良さそうです。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
八のことに十の力で当たる かくして真面目ということは、いわゆる無力な人間のお目出たさではなくて、最も男性的本格的な全力生活だということが分かりましょう。したがってこれを実行上の工夫から申せば、八つのこ…
独立独歩の人間 私は、本校の生徒諸君に対して「諸君は将来立派な先生になりなさい」とは、あまり言わないつもりです。本を読まないで、ただ立派な先生になれと言っただけでは、卒業後二・三年もたつと、もう干から…
悪法も守るべし つつみかくし無く堂々とあけっ放している人には、相手は必ず公平無私に堂々と取り組む。すべて我が心の反映であることは、我らの常に実見するところである。 いわゆる悪法でも、ある限りは守らなけ…
道の上の友 友人関係において、真に尊敬するに足る友人とは、結局は道の上の友ということでしょう。したがって道の上の友ということになると、結局は師を共にする場合が多いと言えましょう。つまり同門の友というわ…
苦しみのものとは「我」 同じく人生でありながら、一方はこれを妙味津々として見る人もあるかと思えば、他方には、これを苦しみの連続と見る人もあるのは何故でしょうか。これはマァ色々と考え方もありましょうが、…