実践して分かること
Release: 2022/11/12 Update: 2022/11/12
実践して分かること
廊下の紙屑というものは、それを見つけた人が拾ってやるまで、いつまでそこに待っているものです。もっともこれは、紙屑を拾うように努めている人だけが知っていることなんですが。このように世の中には、実践しなければ分からない世界が限りなくあるものです。【203】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
道を探究するというのは実践するしかないのでしょうね。
どういう生活態度を送るとか、自分の心はどうなっているのかとかは常に考えねばならいことです。
当の本人にしか分からないことでも、普段の実践が表に現れるものです。
家庭だからと言って日ごろの不平不満を言うのはおそらく問題が多いでしょう。
そして、その不平不満にあまり同意するのも問題でしょう。
常に自分の言葉を慎み、いつも自分で気づくということを実践しなければいけない。
関連コンテンツ
職責を通して道を体得する われわれの国家社会に対する努めは、どこまでもその職分を通して行われる外ないわけですが、同時にまた他面、このような考えに対しては、いかなる人間でも、ほとんど例外なく、何らかの職…
不遇を鍛錬の機会とする 下坐行ということは、その人の真の値打以下のところで働きながら、しかもそれを不幸としないばかりか、かえってこれをもって、自己を識り自分を鍛える絶好の機会と考えるような、人間的な生…
人間の心の清らかさは、それが深まってきますと、ある意味では「報いを求めぬ心」ともなるようです。ところでこの「報いを求めぬ心」ということは、コトバで申せばただの一口で済みますが、なかなか至難なことであ…
人間は、現在自分の受けつつある不幸を、単に自分独りが嘗めされていると考えるか、それともこうした不幸によって、自分の甘え心を取り去るために神の深い計らいが働いていると気づくかにより、同じ不幸もその人の一…
一倍半働き、二割減の報酬 真に意義のある人生を送ろうとするなら、人並みの生き方をしているのではいけないでしょう。それには、少なくとも人の一倍半は働いて、しかも報酬うは、普通の人の二割減くらいでも満足し…