教えの力
教えの力
平素の種子まきがなければ、人は逆境に出合ったからとて、にわかに真剣に道を求めるなどというようなことは、まずあり得ぬことといってよいでしょう。そこで結局は、平素の種子まきが根本になるわけです。
そこで、結局はこういうことになりましょう。つまり同じく苦労しながらも、その人の平生の心がけいかんによって、そこにはまったく相反する結果が現れるということです。
すなわち一方には、苦労したために人間の甘さとお目出たさはなくなったが、同時にそのために冷たい人間となり、えぐい人間となる場合と、今一つは、苦労したために、かえって他人の不幸に対しても、心から同情できるような心の柔らかさや、うるおいの出る場合とです。そしてそれは結局、平素の教えを聞いているか否かによって、分かれると言えましょう。
すなわち同じく苦労しても、教えの有無によって、まったく正反対の人間ができ上ることになるわけです。教えの力というものが、いかに偉大なものかということを、改めて考えざる得ないしだいです。
修身教授録
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教えられるというのは実に重要なことです。
そうそう簡単には人間というものは変わりませんが人から教えらえるということで、はっと気づくということは多々あるものです。
誰にでも逆境というものは存在しますし、感じ方もそれぞれで慣れるというようなものもあります。
読書で伝記を読めというのはそういうことなんだと思うのです。
自分で自分の人生を書く人もいるかもしれませんんが、通常はほぼ他人がその人の一生を書くのだと思いますからひとかどの人には違いないのです。
読んでいる人と読んでいない人では逆境の捉え方が違ってくるでしょうね。
よく見ると致知出版の本ばっかりる(笑)