敢へて諸侯に見えざるは礼なり|7月22日のことです。
Release: 2018/07/22 Update: 2018/07/22
敢へて諸侯に見えざるは礼なり
国に在るを市井の臣と曰ひ、野に在るを草莽の臣と曰ふ。(中略)敢へて諸侯に見えざるは礼なり。(万章下七章)
【訳】
まだ仕官していない人で、都に住んでいるものを市井の臣という。田舎に住んでいる者を草莽の臣という。(中略)(これらまだ主君に仕えていないので)進んで主君を拝謁しないのが礼である。
〇松陰は、「問題は、御用もない者は主君に会わないという廉恥の風潮がなくなっていることである。こんな世相であれば、いざという時、家臣達が真っ先に逃げだすであろうことは明白であり、これが心配である」と記している。
7月22日、孟子一日一言の言葉です。
主君に重大な用事もないのに簡単に会ってはいけないということなんでしょうね。
簡単に会えるような関係にしては威厳がなくなるのでしょうね。
敢えて沈黙しながらいざという時には命をかけて主君を守る。
うすっぺらなコミュニケーションではいけないということなんでしょうね。
今日も一日がんばります。
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