水使いを嫌うな|2月7日のことです
Release: 2018/02/07 Update: 2019/01/12
私が中学校長をしていた或るクラスに有名なシモヤケのひどい生徒がいた。
ある寒風の吹く日、生徒が教室で掃除をしている。はいって行くとそのシモヤケの生徒がいる。見ると雑巾を二本の棒ではさんで、板の上になでている。
「君は、水使いをきらって、なまけ根性一ぱいでいるから、そんなひどい霜焼けになるのだ、その手をざぶんと水につけて、この通り、両手でしっかりと拭いて見給え」と、言い聞かした。
それか一週間、何年間も冬ごとに出来たシモヤケがきれに直っていた。
丸山敏雄一日一話(幸せになるための366話)2月7日の言葉です。
時としてはこういう強いものも必要かもしれません。
体罰などがとてもうるさくなってきて簡単にはできないとは思いますが何か方法を探して大切なことは教えていかなければなりませんね。
掃除のときに二本の棒で雑巾を挟むという行為自体がいけない行為だと思いますからしっかりと指導することは大事です。
荒療法が必要なこともあります。そうしなければわからない時もあります。
今の世の中の風潮がそうできないと感じすのは私だけでしょうか。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
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