為すあらんとする者は|1月10日のことです。
Release: 2019/01/12 Update: 2019/01/12
為すあらんとする者は
顔淵曰く、「舜何人ぞや、予れ何人ぞや」と。為すあらんとする者は亦是くの若し。(滕文公上首章)
がんえんいわく、「しゅんなんびとぞや、われなんびとぞや」と。なすあらんとするものはまたかくのごとし。(とうぶんこうかみしゅしょう)
【訳】
(孔子の弟子)顔淵は、「舜はいかなる人間であろうか。私はいかなる人物であろうか(同じ人間である。それならば、努力さえすれば舜のようになれない道理はない)」といったという。何事か成し遂げようとする人物は、誰でもこうであるべきである。
1月10日、孟子一日一言の言葉です。
こういう思いをもたなければいけませんね。
目標にしたい自分を持つことはとても大事です。
ああなりたいと強く思うことをしなければなれるものではありません。
やり直しはきかない。
どう強く思うかということでしょうね。
日々に追われてはいけませんね。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
言霊 言葉は、生命の発動である。たましいの息吹である。 生命とか、霊とかいっても、その発動以前は、有るとも無いともいえないでのある。稲妻のように、光らぬ前は電気の有無はわからないのである。 ひとたび発…
愛するということは、元来「相手のために自己を捧げる」という意味がこもっているのです。いかに辛いことでも相手のためにそれを我慢し、さらには耐え忍ぶという所がなくては、真に愛してているとは言えないわけです…
階段を登る工夫②さりげなく この辺の趣が分からなくては、その人の人生もまだ本格的に軌道に乗ったとは言えないでしょう。そこでまたお互い人間は、逆境の時でも、はたの人から見て、苦しそうに過ごすものではない…
水を絶(わた)れば必ず水より遠ざかる。客水を絶りて来らば、これを水の内に迎うる勿れ。(行軍) 絶水必遠水。客絶水而来、勿迎之於水内。(令半済而撃之利。欲戦者、無附於水而迎客、視生処高、無迎水流、此処水…
食物でも住宅でも、人類は、永き歴史の推移につれて、物の役目を、より便利により完全に改良進歩させるだけでは満足ができずに、実用を越えた芸術の世界にまで高めずにはおきませんでした。 人の造った、物、事、そ…