狂者は進みて取り、獧者は為さざる所あるなり|12月23日のことです。
Release: 2018/12/23 Update: 2018/12/23
狂者は進みて取り、獧者は為さざる所あるなり
狂者は進みて取り、獧者為さざる所あるなり。(尽心下三十七章)
けんしゃはすすみてとり、けんしゃはなさざるところあるなり。(じんしんしもさんじゅうななしょう)
【訳】
狂者(礼法を乱し、政教にも害を及ぼし、俗世間から憎まれることも多いが進んで善を求める人)は積極的で、進んで善を求める気魄がある。獧者(俗世間とはことなるところがあるが、大きな過失はない人)は消極的だが、断じて不義不正はしない。
12月23日、孟子一日一言の言葉です。
とにかく共通するのは善を求めるという人のことですね。
勝手なイメージですが、狂者の方が熱い人で不正も許さない人に感じます。
しかし、自分も善を求めてとても葛藤しているような。
どっちにしても善を求める人間にならなければいけませんね。
今日も一日がんばります。
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