生死一如
Release: 2022/11/03 Update: 2022/11/03
生死一如
われわれは、自己の生に徹することによって生を超えると共に、そこにおのずから死をも超える道が開かれてくるのであります。かくして人生を真に徹して生きる人には、生死はついに一貫となり、さらに一如ともなるわけであります。【257】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
生と死と言う問題についてはなかなか普段感じることは出来ないわけです。
だんだんと年齢を重ねていくと人の死というものも当たりまえのようになり、その人の死すら思い出すことが薄くなるものです。
思い出されないとうことが死が本当の死だとも聞いたことがあります。
そういう意味では先生は死んでいないのかもしれません。
松陰先生もしかりですし、様々に偉人もそうかもしれません。
生き切るというようなことを悟るというか感じるというか、そういう心境になり実行できる人が死後も忘れ去られない人かもしれません。
それには今日一日なんだろうし、今の一分一秒なんだと思います。
毎日しっかり考えて前に進もうと感じています。
関連コンテンツ
人はすべからく「真志正望」を抱かねばならぬ。 万人いずれも唯一無二。 自分もまた一箇の捨石として、いかに生きたらよいか。 教えるは、すなわち学ぶことである。 人間は四十までは、もっぱら修行時代と心得ね…
告げ口というものは、ある意味では人間最大の罪といってよいわけですが、しかもお互い自身、この罪から完全に無関係だと考えたら、それは大きな間違いではないかと思うのです。というのも、二人の人間の間を故意に傷…
修養は気品を高める われわれ人間の生涯の修養は、この面のように、その一々が自己に刻みつけられていくものであって、われわれはそこに、しだいに浮彫りにされていくと言ってもよいでしょう。かように考えて来ます…
人間教育の基盤は家庭教育にあり、その家庭教育の根本は実に「躾け」にある。 #運命を創る100の金言 #森信三 家庭での教育の根本は何か、やはり親の生活態度しかないように感じます。 しかしこ…
すべて一芸一能に身を入れるものは、その道に浸り切らねばならぬ。躰中の全細胞が、画なら画、短歌なら短歌にむかって、同一方向に整列するほどでいなければなるまい。つまりわが躰の一切が画に融け込み、歌と一体に…