真剣さの欠如
Release: 2022/05/21 Update: 2022/05/25
真剣さの欠如
自分がこの世の中へ人間として生まれて来たことに対して、何らの感謝の念がないということは、つまり自らの生活に対する真剣さが薄らいで来た何よりの証拠とも言えましょう。【21】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
自分がなぜ人間なのかと考える。
そんな機会はあまりないかもしれませんね。
なぜ人間なのでしょう。
それこそ天のみぞ知るということなのでしょうが、実際今から他の動物や草木に変われるといっても拒絶するところですね。
なのに感謝もしない。たしかにそうです。あたり前とも思っていない。
実に興味深いところですが、実際ありがたいことです。
なのになぜ家族で争ったりするのでしょうか。
せめて時折こういうことを考え軌道修正するしかないでしょうね。
関連コンテンツ
自分がこの世の中へ人間として生まれて来たことに対して、何ら感謝の念がないということは、つまり自らの生活に対する真剣さが薄らいで来た何よりの証拠とも言えましょう。 というのもわれわれは、自分に与えられて…
偉人の共通項 自分のやりたいことはすぐにやる。つまり自分が本当にしたいと思ったことは、何物を投げ打ってもただちにそれをやる。たとえば本が読みたくなれば、たとえそれが真夜中でも、すぐに飛び起きて読む。…
一日の終わり、人生の終わり われわれが夜寝るということは、つまり、日々人生の終わりを経験しつつあるわけです。一日に終わりがるということは、実は日々「これでもか、これでもか」と死の覚悟を促されているわけ…
不幸の中にある教訓 不幸というものは、なるほど自分も不幸と感じ、人もまたそれを気の毒、哀れと同情する以上、一応たしかに不幸であり、損失であるには違いないでしょう。しかしながら、同時にまたよく考えてみれ…
生命力を高める 偉人と言われる人ほどの人間は、何よりも、偉大な生命力を持った人でなくてはならぬはずです。しかもそれが、真に偉人と呼ばれるためには、その偉大な生命力が、ことごとく純化せられねばならぬので…