考の道|11月9日のことです。
Release: 2019/02/17 Update: 2019/02/17
考の道
どんな境遇の人でも親によって成長しないものはない。にもかかわらず、最も低いレベルにあるのもまた、親に対する考のみちであろう。
或る者は大変親に世話になっていると考え、他の者は親はカタキでこそあれ、けっして恩人ではないという。
はたして親の子に対する仕打ちには、甲乙があるものだろうか。私はただその親より受けためぐみを「知らぬだけ」と断言する。皆それぞれに全をつくして、子を思っている。これを、分量や期間や貧富などですべきではない。
11月9日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
考の道。これをしっかり実践する人は偉い人だと思います。
子を育てる親が孝行しないからその子供は孝行しない。
こういうことなのでしょうか。
こういう言葉を聞くたびに自分がいかにダメか痛感しますね。
明日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
現世は、あらゆる物質は人の取るに任されている。すべての財貨は、すべての人に託されている。すべてのポスト(位置)は、人の来るに任されている。すべての職業は、適任者はまちあぐんでいる。 ただ己が、それを知…
食の自由の境地 世には、同じ物を食べる事をいやがったり、それがいかぬように思ったりする向きがある。これは間違いである。 ことさらに同じ物ばかり食べる必要がないが、得られない時は何日でも何カ月でも同じ物…
志は気の師なり 夫れ志は気の師なり、気は体の充なり。夫れ志いたれば気次ぐ。(公孫丑上二章) それこころざしはきのすいなり、きはからだのじゅうなり。それこころざしいたればきつぐ。(こうそんいかみにしょう…
中を執りて権なき―道を賤ふ 中を執りてて権なきは、猶ほ一を執るがごときなり。一を執るを悪む所のものは、其の道を賤ふが為なり。一を挙げて百を廃ればなり。(尽心上二十六章) ちゅうをとりてけんなきは、なお…
尊卑と順序 同権であり、同じ力ではらいてこそ、夫婦のむずびは、いよいよかたくなる。もし、一方が弱いとすれば、結んでも切れてしまう。合一してゼロとなる場合、「+」と「-」の絶対値は常に等しくなくてはなら…