聖人の門に遊ぶ者は(百家の言も)言と為し難し。|10月29日のことです。
Release: 2018/10/29 Update: 2018/10/29
聖人の門に遊ぶ者は(百家の言も)言と為し難し。
聖人の門に遊ぶ者は(百家の言も)言と為し難し。(尽心上二十四章)
【訳】
聖人の門に学んだ者は(大抵の言葉をきいても)たいした教えと思わないものである。
10月29日、孟子一日一言の言葉です。
実際に本当すごい人から学んでしまいますと少し違和感を感じることがあります。
ん?と思って聞いてします自分がいる時はあります。
そういう場合はどういう心持ちでいればいいかわかりませんがたまにはそういうこともあるということを受けいれるしかありません。
でも実際はどんなよい学びも実践できるかどうかですね。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
本ある者 孟子曰く、「原泉混々として、昼夜を舎てず。科に盈ちて而る後に進み、四海に放る。本ある者は是れを之れ取れるのみ」(離婁下十八章) もうしいわく、「げんせんこんこんとして、ちゅうやをすてず。あな…
爾あることなければ―爾あることなからん 然り而して爾あることなければ、則ち亦あることなからん。(尽心下三十八章) しかりしこうしてしかあることなければ、すなわちまたしかあることなからん。(じんしんしも…
無名の指屈して信びざるあり 今、無名の指屈して信びざるあり。(告子上二十章) 【訳】 今、仮に、薬指が曲がってしまって、のびない人がいたとする。 8月24日、孟子一日一言の言葉です。 薬指が曲がって伸…
三聖者を承がんと欲す 我も亦人心を正しくし、邪説を息め、詖行を距ぎ、淫辞を放ち、以て三聖者を承がんと欲す。(滕文公下九章) われもまたじんしんをただしくし、じゃせつをやめ、ひこうをふせぎ、いんじをはな…
仁者・不仁者 仁者は其の愛する所を以て其の愛せざる所に及ぼし、不仁者は其の愛せざる所を以てその愛する所に及ぼす。(尽心下首章) じんしゃはそのあいするところをもってそのあいせざるところにおよぼし、ふじ…