自分の利害、他人の利害
Release: 2022/08/25 Update: 2022/08/25
自分の利害、他人の利害
ところで「我」に引っ掛かっているとは、言い換えれば、常に自分の利害を中心にして、人のために尽くすということの分からない人間ということでしょう。つまり自分の利害はよく分かるが、他人の利害については、とんと気がつかぬというわけです。【461】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
人の一倍半は働き給料は二割減にする。
これが出来る人はやはり責任のある役につくでしょうね。
常に迷い葛藤があるのはとても良いことだと思います。
そうしないと考えないですから。
我というものは恐ろしいとも思います。
無くなるということもないわけです。
我をなくして人のために生きようというのも我と言えば我です。
そんなことを時として考える時間があるのと無いのとでは大きく違うとは思います。
関連コンテンツ
真実の教育 そもそも真実の教育というものは、自分の失敗とつまずきと、後に来る人々に、再び繰り返さすに忍びないという一念から、起こると言ってもようでしょう。【310】 #修身教授録一日一言 #森信三 #…
充実した一日を生きる 一日を真に充実して生きるには、一体どうしたらよいかが問題でしょう。その秘訣としては私は、その日になすべきことは、決してこれを明日に延ばさぬことだと思うのです。【505】 #修身教…
持ち味を生ずる 一人の人間が、永い歳月にわたって明けても暮れても、常に心の底に持ちつづけて研究したことというものは、そこに一種独特の持ち味を生ずるものであります。【192】 #修身教授録一日一言 #森…
敬の一念と生命の進展 尊敬の念を持たないという人は、小さな貧弱な自分を、現状のままに化石化する人間です。したがってわれわれ人間も敬の一念を起こすに至って、初めてその生命は進展の一歩を踏み出すと言ってよ…
生死一如 われわれは、自己の生に徹することによって生を超えると共に、そこにおのずから死をも超える道が開かれてくるのであります。かくして人生を真に徹して生きる人には、生死はついに一貫となり、さらに一如と…