食物は努力の結晶|4月22日のことです。
Release: 2018/04/22 Update: 2018/04/22
食物は努力の結晶
今日私どもの日々食膳にのぼる食物は、その料理法や、その食べ方や礼儀等は、何万年の昔から、何人とも計算のできぬほどのたくさんな祖先たちによって考えられ伝えられて、今日まで来ている。
人間の作り上げた文化の総決算といわねばならぬ。
一ぱいの御飯、一椀の味噌汁も、母や妻や炊事係の人たちの並々ならぬ心遣いや、百姓・商人の手数や、交通機関のお世話になっているとうだけではない。永い永い祖先以来の人たちの知識と努力の結晶であり、真心の集積である。
丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、4月22日のことです。
考えみると米も麦も芋もすべていつの時代のだれかが食べられることを発見しているわけですし感謝しなければなりませんね。
それをおいしく食べられるようにしていった先祖がいます。
実際問題、繰り返しになりますが今あるすべてのものは先祖からの積み重ねのようなものです。
明日も一日がんばります。
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