性は猶ほ杞柳のごとし|7月27日のことです。
Release: 2018/07/27 Update: 2018/07/27
性は猶ほ杞柳のごとし
性は猶ほ杞柳のごとし(告子上首章)
せいはなおきりゅうのごとし(こくしかみしゅしょう)
【訳】
(告子がいった)「人間の性の本性は水辺に生える柳のような(どちらにも曲げることができる)ものである」と。
7月27日、孟子一日一言です。
告子
中国、戦国時代の人。名は不害。人の性について孟子と論争し、人間の性は本来善でも悪でもなく、導き方で善悪が定まると主張した。生没年未詳。(大辞林 第三版の解説)
今日から告子編です。
孟子の論敵ということみたいです。
こういう論争することがより深い学びへとなっていったんでしょうね。この時代の中国にはたくさんの思想家がいますが人間の内面について研究をする人がいたんですね。
人間は善くも悪くもなるということでしょうか。
環境に左右されることもある。たしかにそうです。
でも環境を選ぶこともできます。
自分の生きることですから自分で決めていきたいものですね。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
君、仁なれば 君、仁なれば(民)仁ならざるはなく、君、義なれば義ならざるはなし。(離婁下第五章) きみ、じんなれば(たみ)じんならざるはなく、きみ、ぎなればぎならざるはなし。(りろうしもだいごしょう)…
我れに従へ① 巨室を為らば、則ち必ず工師をして大木を求めしめん。(中略)今此に璞玉あらんに、万鎰と雖も必ず玉人をして之れを彫琢せしめん。(梁恵王下九章) きょしつをつくらば、すなわちかならずこうしをし…
夫れ道は一のみ。(滕文公上首章) それみちはいつのみ。(とうぶんこうじょうしゅしょう) 【訳】 そもそも道というものは一つである(堯や舜のような聖人の道も我々凡人のそれも一つである。善なる本性のままに…
中を執りて権なき―道を賤ふ 中を執りてて権なきは、猶ほ一を執るがごときなり。一を執るを悪む所のものは、其の道を賤ふが為なり。一を挙げて百を廃ればなり。(尽心上二十六章) ちゅうをとりてけんなきは、なお…
為すあらんとする者は 顔淵曰く、「舜何人ぞや、予れ何人ぞや」と。為すあらんとする者は亦是くの若し。(滕文公上首章) がんえんいわく、「しゅんなんびとぞや、われなんびとぞや」と。なすあらんとするものはま…