仁者・不仁者|11月21日のことです。
Release: 2018/11/21 Update: 2018/11/21
仁者・不仁者
仁者は其の愛する所を以て其の愛せざる所に及ぼし、不仁者は其の愛せざる所を以てその愛する所に及ぼす。(尽心下首章)
じんしゃはそのあいするところをもってそのあいせざるところにおよぼし、ふじんしゃはそのあいせざるとこをもってそのあいするところにおよぼす。(じんしんしもしゅしょう)
【訳】
仁者はその愛する者に対する心を、まだ愛してない者にまで及ぼす。不仁者は反対に、まだ愛していない者に対する心を愛している者にまで及ぼす。
11月21日、孟子一日一言の言葉です。
仁者が愛する心が他にも影響を与えるというのはわかりますね。
反対の意味がいまいち理解に苦しみます。
仁者でない人は何を及ぼすのでしょうか。
難しい言葉です。
きっと深い解釈があるのでしょうね。
松陰先生に聞いてみたいです。
今日も一日がんばります。
関連コンテンツ
道を尽して 舜親の事ふるの道を尽して瞽瞍予を底す。瞽瞍予を底して天下化す。(離婁上二十八章) しゅんおやにつかうるのみちをつくしてこそうよろこびをいたす。こそうよろこびをいたしててんかかす。(りろうか…
何をか志を尚くす―仁義のみ 曰く、「何をか志を尚くすと謂う」。曰く、「仁義のみ」。(尽心上三十三章) いわく、「なにをかこころざしをたかくすという」。いわく、「じんぎのみ」。(じんしんかみさんじゅうさ…
考の道 どんな境遇の人でも親によって成長しないものはない。にもかかわらず、最も低いレベルにあるのもまた、親に対する考のみちであろう。 或る者は大変親に世話になっていると考え、他の者は親はカタキでこそあ…
崇に於て吾れ王に見ゆることを得たり。退きて去るの志あり、変ずるを欲せず。故に受けざるなり。(公孫丑下十四章) すうにおいてわれおうにまみゆることをえたり。しりぞきてさるのこころざしあり、へんずるをほっ…
吾が敬を行ふ 吾が敬を行ふ、故に之を内と謂ふなり。(告子上五章) 【訳】 (孟子の門人の公都子がいった)「自分の心の内にある敬意を実行するのが義である。だから、義は当然心の内にある」と。 〇松陰は、「…