清濁あわせのむ|6月18日のことです。
Release: 2019/06/18 Update: 2019/06/18
清濁あわせのむ
戦いは勇ましいように見えるが、静かに考えると、勇に似てまだ充分でない、義に似て完全ではない。
大勇は動かざるにある。沈勇は発せざるにある。
けんかの時、強い方は手を出さぬ。大義は、わたくしをはなれ、おおやけに生きるにある。
偉人は、清濁あわせのむ。
6月18日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
う~ん。難しいですが確かにと思います。
商売でも戦いのように思えることがありますがそれがだれのためにやることなのかを考えなければいけませんね。
特に卸売りや大手との仕事の時には考えなければいけません。
大義があってのものであれば損をしてでも行うべきことですがそうでなければやるべきではありませんね。
戦えばいいというものではありませんね。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
耳は「聞く」もの 耳は「聞く」ものである。聞かねば耳ではない。まともに、ありのままに、淡々として私情私意、我情我欲を挿し挟まずに、たださながらに聞く、これがほんとの耳である。 聞えても、そのままの意味…
門を出るとき、玄関を去るとき、ここに一つの引きしまりがつく。そのため多くの場合、門柱があり、看板があり、何か目じるしがある。これは、外部の人に対してだけ何か役に立つというものではない。私自らの心のくく…
歌の心 自然の風光に美を見出すということは、実は、内にあるわが心をひらいて美に通じるわが本性を振り立てることである。 「我」とは、小さい肉体に限られているものではない。ほんとうの「われ」は、肉体の外に…
子供の耳 子供の物の聞き方こそは、そのままほんとうの物の聞き方である。舌切り雀も桃太郎もただそのままに、真実の話だと信じ切って聞く。ここに正直な、聡明なよい日本国民が出来上がるのである。 我情をさし挟…
今日は最良の一日 今日はまたとめぐって来ない。 昨日は過ぎ去った今日であり、明日は近づく今日である。 今日の外に人生はない。人の一生は、今日の連続である。 昨日を悔い、明日を憂える人がある。これは、今…