目下への謙遜
Release: 2022/04/28 Update: 2022/04/28
目下への謙遜
謙遜は、ひとり目上の人とか、ないしは同輩に対して必要なばかりではなく、むしろそれらの場合以上に目下の人に対する場合に必要な徳目だともいえましょう。【205】
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謙遜と卑屈ということを講義している章ですが、なかなか普段は考えない事柄であるのは間違いないことです。
自分が謙遜している人間かと考えたこのある人はそんなに多くはないとも思います。
要するには普段の自分の態度や振る舞いを対人関係においてどうなっているかを考えもしない人に謙遜も卑屈もないわけでもあります。
それを卑屈な考え方だと人に言ってみても仕方ないことです。
となると自分はどうなんだと考えみたところが態度としては普通を装っていても心がどうなっているかです。
瞬間、心がどう考えるか。
実に卑屈な気もします。
相手に対して心がどうなっているか観念の塊だと思うわけです。
困ったものですが、思考パターンはなかなかくせのようなもので変わらないものです。
考えることは大切だと改めて思います。
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