真実の教育
Release: 2022/07/14 Update: 2022/07/14
真実の教育
そもそも真実の教育というものは、自分の失敗とつまずきと、後に来る人々に、再び繰り返さすに忍びないという一念から、起こると言ってもようでしょう。【310】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
家庭教育という部分もそうなるのでしょうね。
自分の体験と経験に基づきなんとなく自分のことを押し付けるという場面があるかもしれません。
失敗が多いものですから、そうならないようにしたらどうかということで言葉を発しています。
経験や体験も重要なことですから、それはいいとは思うのです。
自分の家族のことというのは難しさも感じます。
子供というのは自分の歩んだ道に近いことをしているような気もします。
繰り返さない方がいいんですが、それもまたある意味ではしかないことかもしれませんね。
関連コンテンツ
死生を超える道 偉大な人の生命の誠は、肉体の死んだ後にもその威力を失わないものであります。否、肉体が解体すると、かえってその人の誠は、自在にその威力を発揮してくるとも言えましょう。何となれば、もはや、…
一日読書しなければ 読書はわれわれ人間にとっては心の養分ですから、一日読書を排したら、それだけ真の自己はへたばるものと思わなばなりません。【65】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常…
ホンモノとニセモノ 真実なものと、そうでないもの、ホンモノとニセモノとは、平生は一向にその相違は見えなくても、一たん事が起きると、まごうかたなくその相違が現れるものです。そこでホンモノとニセモノとの相…
人間としての嗜み 諸君らは、傘をさして歩くときは、斜めに肩をもたせかけたりなどしないで、柄を垂直にしてさすものです。また天気になったらキチンと畳んで、柄の先が地面を引きずらないようにするのです。 なお…
優れた師①叱らずして悦服(えっぷく)させる 本当に偉い方というものは、そうみだりに声を荒げたて、生徒や門弟を叱られるものではないのです。第一にその必要がなかろうと思うのです。 大声で生徒を叱らねばなら…