階段を登る工夫②さりげなく
Release: 2022/07/22 Update: 2022/07/22
階段を登る工夫②さりげなく
この辺の趣が分からなくては、その人の人生もまだ本格的に軌道に乗ったとは言えないでしょう。そこでまたお互い人間は、逆境の時でも、はたの人から見て、苦しそうに過ごすものではないとも言えましょう。つまり階段の途中まできても、平地を歩くと同じような調子で登るのと同じように、人生の逆境も、さりげなく越えていくようにありたいものです。【502】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
さりげなくさらりとやる。
苦しさというのは人にさとられないようすることが趣がある。
たしかにそうだと思います。
苦しさを苦しいと見せたいという部分を人はもっているものです。
まったく、そういうことを感じさせない人になりいたいものです。
表と裏のようなものが世の中にあり、苦しさと楽しさもまた表裏一体というものです。
ここで思うことは人生二度なしを日々意識することだと改めて感じますね。
関連コンテンツ
真の「誠」は。何よりもまず己のつとめに打ち込むところから始まると言ってよいでしょう。すなわち誠に至る出発点は、何よりもまず自分の仕事に打ち込むということでしょう。総じて自己の務めに対して、自己の一切…
持ち味を生ずる 一人の人間が、永い歳月にわたって明けても暮れても、常に心の底に持ちつづけて研究したことというものは、そこに一種独特の持ち味を生ずるものであります。【192】 #修身教授録一日一言 #森…
一時一事 自分の現在なさなければならぬ事以外のことは、すべてこれを振り捨てるということと、なすべきことに着手するということは、元来、一つの事の両面とも言うべきであって、この点は、おそらくわれわれが仕事…
一日の大安眠を得る途 一日の予定を完了しないで、明日に残して寝るというこおてゃ、畢竟人生の最後においても、多くの思いを残して死ぬということです。つまりそういうことを一生続けていたんでは、真の大往生はで…
とにかく人間は、「自己を磨くのは自己以外にない」ということを、改めて深く覚悟しなければならぬと思います。 すなわち、われわれの日々の生活は、この「自分」という、一生に唯一の彫刻を刻みつつあるのだという…