四十歳
Release: 2022/09/05 Update: 2022/09/05
四十歳
人生を山登りに喩えますと、四十歳はちょうど山の頂のようなもので、山の頂に立って見ますと、わが来し方も、初めてしみじみと振り返って見ることができると共にまた後半生をいかに生きたらよいかということも、仄かながら見え始めて来るようであります。
それはちょうど山登りにおいて山の頂に達すれば、わが来し方を遥かに見返すことができるとともに、また今度下り行くべき麓路も、大体の見当はつき始めるようなものです。
それ故人間も四十歳前後になったならば、自分の一生について大体の見通しがつきかけねばならぬと思うのです。【41】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
人生も後半戦になっているにもかかわらず、確立したものをもっていないのかもしれませんね。
四十歳まで何も考えていなかったような気もします。
どんなに長く生きられたとしても90歳くらいだとすると残り20年もばりばりとやれない状況です。
わかっていながら状況を変えるような感じがない。
まったく問題が多いと思います。
事業においても、自分の人生においても残り時間を意識しながらやらないといけません。
今一度振り返り残りを考えてみることが必要ですね。
関連コンテンツ
自己の天分を発揮する① 自己の天分を発揮するということですが、この天分の発揮ということは、実は単に自分のことだけを考えていたんでは、真実にはできないことであります。すなわち人間のの天分というものは、単…
仕事に取り組む方法論としては、①仕事の大小、軽量をよく認識し、仕事の手順をまちがえないこと、とりわけ小事を軽んじないことが大切でありましょう。②できるだけ迅速にして、しかも正確を期するよう努めること。…
教育の根本動力 真の教育とは、人材を植え付けることによって、この現実の世界を改革しようとするたくましい意力を、その根本動力とするものでなくてはならぬはずです。【124】 #修身教授録一日一言 #森信三…
ヒントは書物の中に 諸君が将来何らかの事に当たって、必要が生じた場合、少なくともそれを処理する立場は、自分がかつて読んだ書物の中に、その示唆の求められる場合が少なくないでしょう。つまりかつての日、内心…
四十までは修業時代 人間は四十までは、もっぱら修業時代と心得ねばならぬということです。現に山登りでも、山頂まではすべてが登り道です。同様に人間も、四十歳まではいわゆる潜行密用であって、すなわち地に潜ん…