信は力なり|1月16日のことです。
Release: 2018/01/16 Update: 2019/01/12
信ずるという事は、事実そうであるから、それと信じるのではない。そうであることは信ずるも何もない、もうすでにそうである。
ほんとうに信ずれば、そうなるのであり、必ず信じた通りにさせるのである。
「信ずれば故に神あり」とは、この事をいう。
信ずる所に神が現われ、仏がまします。故に、「信は力なり」と言う。
丸山敏雄一日一話、1月16日の言葉です。
う~ん。まさしく道理ですね。
事実なんです。
すでにそうなんです。
神様はいると思えばいるんです。私の中に。
幽霊はいると思えばいるんです。私の中に。
私は自分の信念を貫くと決めたら、貫ける。
信じることがすべて。
事実ということですね。
深いですね~。
一人でも世界は変えられると思えば変えられるということですね。
今日一日朗らかに安らかに進んで働きます。

関連コンテンツ
あいさつは誠の先手 「あいさつは誠の先手」と申します。すべて「後手はまけ」、と相場が定まっております。 先手、それはトリックや、さぐりや、用心の手ではありません。思いやりの、親切の、敬愛の先手、これは…
守成は退歩 世に「守成」という言葉がある。「創業はやすいが、守成はむずかしい」と。 創業は新しいことを築き上げて日々進んでいるのであり、守成とは過ぎたものを守っているので日々あとしぎりをしている。進歩…
人生の四苦の意味 いわゆる人生の四苦の第一、肉体の苦痛は、精神のゆがみ、生活の不自然の影にすぎぬ。 第二、物質についての悩みは、いやしい欲心のかたまりの反映である。物の欠乏は、心の欠乏の影である。 第…
病気は心の浄化作用 人体は、宇宙の運行と共に生き、天地の生成と共に同じ力で息づいている。 肉体は、自分で治る力を持っている。医薬も、その他一切の治病の方法も、ただ自然に治る力を旺盛にする方法であるにす…
言葉は、生命の発動である。たましいの息吹である。 生命とか、霊とかいっても、その発動以前は、有るとも無いともいえないでのある。稲妻のように、光らぬ前は電気の有無はわからないのである。 ひとたび発動して…