人の喜びはわが喜び|3月12日のことです。
Release: 2018/03/12 Update: 2018/08/19
世に楽しみは多い。好きな物をたべる、美しい物を見る、よい着物をきる・・・・いろいろの喜びの中で、どれほどつづけるも、如何にひどくても、いよいよ高まり深まって行くのは、働きに伴う喜びである。
地味で素朴で尽きぬ喜びをわが喜びとする、その喜び、これこそ地上無比の喜びである。
3月12日、丸山敏雄一日一話(幸せになるための366話)の言葉です。
人の喜びが我が喜び。
自分のためにすることの喜びというのはたしかに喜び順位的には低いような気がします。
だれかが喜んでくれた時が一番かもしれません。
それが人間も本能的なことであれば一生懸命に働くしかありませんね。
充実した日々は日頃の働く次第ですね。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
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