人間は井戸のようなもの
Release: 2022/07/05 Update: 2022/07/05
人間は井戸のようなもの
人間の力にはそれぞれ限度があるとも言えますが、同時にまた側面からは、再現がないとも言えるのです。
それはちょうど井戸水みたいなもので、なるほど一方には、水のよく出る井戸もあれば、また出のよくない井戸もあると言えましょう。しかし実際には、水をかい出して、もう出なくなったと思っても、しばらくすればまたちゃんと元のように溜っているのです。人間の力もまあそんなもので、もうこれ以上はやれないと思っても、その人にして真に精進の歩みを怠らなければ、次つぎと先が開けてくるものであります。【52】
#修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ #毎日更新
限界だと思っても挑戦し続ければどうにかなるもんだということがわかる言葉です。
何事も諦めないことですね。
これは訓練しかないんでしょうね。
自分の中で限界、もう無理と感じても案外と続けてみればできるということがあります。
筋トレとかもそんなもんなんでしょうね。
人間はなりたいものになれるという実践をやってみたいですね。
極限まで追い込むということをやらなければなりません。
関連コンテンツ
この現実の大野に 教育とは、結局人間を植えることであり、この現実の大野に、一人びとりの人間を植え込んでいく大行なのです。それがいかに荘厳な事実であることか。それは達識明眼の人でなければ、真の洞察はでき…
内面的に強くなる 真の修養とは、何よりもまず人間が、内面的に強くなることです、他の一切のことは、すべてそれからのことです。【476】 #修身教授録一日一言 #森信三 #毎日投稿 #日常 #毎日ブログ…
敬の一念と生命の進展 尊敬の念を持たないという人は、小さな貧弱な自分を、現状のままに化石化する人間です。したがってわれわれ人間も敬の一念を起こすに至って、初めてその生命は進展の一歩を踏み出すと言ってよ…
自己の特色を出すべきか否か 自己の特色というものは、しいて特色を出そうとして出るものではありません。否、自分の特色を出そうということが、あまりに意識的になりますと、かえって変な厭味なものになりましょう…
なぜ人間として生まれたか そもそもいかなる力によってわれわれは、かく人間としてその生をうけることができたのであるか、私達はまずこの根本原理に対して、改めて深く思いを致さなければならぬと思うのです。【1…