弟子の心得|9月25日のことです。
Release: 2018/09/25 Update: 2018/09/25
弟子の心得
聖人たちは、当時の大衆によって、直ちに”人類の教師”としての偉大さを見出され崇敬を集めてのではなかった。
どうしたいきさつで、偉大さをたたえられるに至ったのであろうか。
それは何人かの選ばれた愛弟子によってであった。
弟子たちは、迫害が押し寄せようとも、びくともせず、その師をかこみ、その師を助け守った。
そして「師を尊敬する一点にかけて天下広しといえども人後におちないぞ」と、かたい決心で師につかえた。
9月25日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
きっとそうだと思います。
弟子が後世に残すために必死になったからこそ今の時代にまで残るような偉大な功績が伝わっています。
そういう意味では弟子のおかげということも言えますね。
弟子にアウトプットしていくこと、そして大衆にアウトプットしていくことで信念が練り固まっていくということもあると思います。
ちょっと怖いのはオウム真理教のようなものも中にはあるということですね。
100年後は弟子によっては大きな広がりもあるということです。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
腰を据えて取り組む 機械が故障してどうにもならぬとき、決死の至誠をもってこれに当たる人が出てきますと、みごとに直る。 いくら手をつくしても、どうにも動かぬという機械が、これに当たる人の心を改めてやり直…
霊(たましい)の教育 ほんとうの民主教育は、個々人の自覚にたつ。 個人の自覚は、たましいの目覚めをよそにしては得られない。 技能の教育は学校ででもできよう。しかし、霊の教育は、我が国の今日の学校では断…
「あいさつは誠の先手」と申します。すべて「後手はまけ」、と相場が定まっております。 先手、それはトリックや、さぐりや、用心の手ではありません。思いやりの、親切の、敬愛の先手、これはまずあいさつからです…
くくりつける くくりをつけ得ない人は、今取り扱っている物を、またその仕事を、キャッチ出来ない人である。後始末をつけるのは、その物(その仕事)に日日の区切りをつけ、しまりをつけるばかりではなく、それがそ…
人間は、なぜ生命をほしがるのであろうか。生命は世界で他に比べるもののないたった一つの宝であるからであろう。 我が肉体は、父祖にうけ、他に代用できない天下一品の身体である。何をきらい、何をおそれ、何を憂…