未だ以て言ふべからざるか|3月1日のことです。
Release: 2018/03/01 Update: 2018/03/01
今、既に数月なり、未だ以て言ふべからざるか。(公孫丑下五章)
【訳】
(蚳鼃(ちあ)さんの司法官の士師となり)もう数か月もたったのに、まだ(王の失政を諫めたという話を耳にしませんが)諫めるべき事柄も機会もないのでしょうか。
〇松陰は蚳鼃の心情を「一、諫める暇もなかった。二、同僚、先輩を憚った。三、諫めるべき大事が起きるのを待っていた、のいずれかであろう」と分析している。そして「孟子」本文「未だ」の意味を諫言すべき時などない。事の大小にもかかわらず、速やかに行うべきであるとの意味である」と記している。
孟子一日一言、3月1日今日の言葉です。
気づくと同時に行う。
さっとやる。ぱっとやる。
おかしいんじゃないかな?と疑問がでたらやはり早いうちに行動しましょうということですね。
王様に諫言するということになると躊躇するのは当然です。
強い信念が必要です。
今日も一日がんばります。
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