涙の洗浄|9月26日のことです。
Release: 2018/09/26 Update: 2018/09/26
涙の洗浄
カメの甲のようにこり固まった我欲我情の結晶、いわゆる罪は、どうしたならばこれを消し、本当の純愛に帰り得るのか。
ここに端的無難の方法は、涙の洗浄である。身分年齢の高下をこえて、相手を無上に敬って、ただ涙をそそぎ、至情を吐露する。この時、あらゆる我情は、洗いさられた明澄至純の心境に達する。家が変わり、環境が変わり、人が変わる。正解が清められる。
これ正しく倫理の世界における心境の登龍門である。人生の真実、実在の一角への突入である。
9月26日、丸山敏雄一日一話幸せになるための366話、今日の言葉です。
我欲我情、自分勝手な自分の塊が罪というのは納得です。
罪を犯し、間違いに気づかなければその境地に達しないというのが悲しいところです。
しかし、人はそれを繰り返し繰り返し気づく。
涙を流すほど反省すれば次回は少なくなるような気はします。
今日一日朗らかに安らかに喜んで進んで働きます。
関連コンテンツ
金のひも 敬と愛とは、人を結びつける金のひもであります。 この美しい情が、まず一日の心の交流の始めとして交わされるのが、朝のあいさつであります。結びおさめされるのが、夜のあいさつであります。 そう自覚…
歌の心 自然の風光に美を見出すということは、実は、内にあるわが心をひらいて美に通じるわが本性を振り立てることである。 「我」とは、小さい肉体に限られているものではない。ほんとうの「われ」は、肉体の外に…
子供の耳 子供の物の聞き方こそは、そのままほんとうの物の聞き方である。舌切り雀も桃太郎もただそのままに、真実の話だと信じ切って聞く。ここに正直な、聡明なよい日本国民が出来上がるのである。 我情をさし挟…
生きているとは 命は、目に見えぬ世界で、宇宙の本体と通じている。早い話が、人間一人ひとりは、電灯のようなものと思えないだろうか。ポツリと一つ光っているように見えるが、その実、電線で発電所と連絡されてい…
食物は努力の結晶 今日私どもの日々食膳にのぼる食物は、その料理法や、その食べ方や礼儀等は、何万年の昔から、何人とも計算のできぬほどのたくさんな祖先たちによって考えられ伝えられて、今日まで来ている。 人…